子供と戦後世代の戦争責任

家永三郎の『戦争責任』は、当時の軍部や政治家、天皇の戦争責任だけでなく、原爆や無差別空爆を行ったアメリカ、イギリスやソ連、メディアにいたるまで広範囲にわたって戦争責任を糾弾している。驚いたのは、当時の子供や、私のように戦後生まれの世代にもそれなりの責任があると指摘していることだ。

まず、子供について、以下のように書く。

「戦争中にいまだ少年期にあった人々でも、戦争にかかわりあったことについて、少なくとも成長後に少年期の自己の言動を反省の対象とする余地があるかぎり、責任の問題と無関係ではない」。例えば、父親が戦死した子供をからかったり、徴兵に応じなかった家族をいじめたり、といった言動について反省すべきであるというのである。

 

f:id:totinokikun:20191124113532j:plain

さらに、戦後世代については以下のように述べる。

「世代を異にしていても、同じ日本人としての連続性の上に生きている以上、自分に先行する世代の同胞の行為から生じた責任が自動的に継承されるからである。純戦後世代の日本人であっても、その肉体は戦前・戦中世代の日本人の子孫として生まれたのであるにとどまらず、出生後の肉体的・精神的成長も戦前世代が形成した社会の物質的・文化的諸条件のなかでおこなわれたのであった」。

だから、日本の占領地であった海外へ旅行した際、日本軍の残虐行為があった施設や追悼の碑の前に立つとき、あるいは日本兵に殺された人の遺族に会ったとき、責任を感じるべきである、というのである。

もちろん、自分自身の戦争責任についても述懐している。

家永三郎の論理展開には、反論できない厳しさと緻密さがある。