自虐史観か傲慢史観か

前2回の記事に書いたような戦争観を右派は「自虐史観」と呼んで排斥しようとする。彼らは、侵略戦争ではなく、アジア諸国をヨーロッパ列強の植民地支配から解放するための戦争であったと主張する。

であるなら、中国や東南アジアに出兵する前に、日本が植民地として支配していた朝鮮や台湾をまず解放するべきだったのではないか。

 

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シンガポール市街を行進する日本軍(Public Domain)

 

自らの過ちを反省する戦争観が「自虐史観」なら、それを認めようとしない戦争観は「傲慢史観」と呼ぶべきであろう。

私は傲慢な人間であるよりも、自虐的な人間でありたいと思う。

「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か?

前回の記事のタイトルを「太平洋戦争は侵略戦争か?」としたが、この名称を使うことには少し抵抗があった。記事を書くきっかけとなった『日本人の戦争観』(吉田裕・岩波書店・1995年)に以下のような記述があったからだ。

大東亜戦争」は当時の軍事政権が大東亜共栄圏を構築するための聖戦であるという意図で名付けた(これは知っていた)が、GHQはそれを打ち消すために公文書での使用を禁止した上、徹底して検閲した。

そして、1945年12月にすべての全国紙に「太平洋戦争史―真実なき軍国日本の崩潰」という記事を掲載させる。つまり、GHQが「大東亜戦争」という名称を「太平洋戦争」に変更させたわけである。

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真珠湾攻撃で沈没する戦艦アリゾナ(Public Domain)

著者である吉田氏は、「太平洋戦争」という名称はアメリカの戦争観から生まれたもので、中国をはじめアジアでの戦争が欠落していることを指摘する。

さらに、先の戦争について日本人が対米戦争というイメージを強く持ち、逆にアジアへの侵略について無自覚であるのは、こうした戦争観にとらわれているからだと主張する。

確かにそういう側面があると思う。では、どういう名称を使えばいいのか。吉田氏は「アジア・太平洋戦争」と書いているし、鶴見俊輔は「15年戦争」という言葉を作った。

やはり、正確には「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきだろう。

太平洋戦争は侵略戦争か?

最近読んだ本に意外な事実が書いてあった。1993年8月10日、当時の細川護熙首相が記者会見で「太平洋戦争は侵略戦争であり、間違った戦争であった」と明言。それを受けて、毎日新聞が行ったアンケートで以下の数字が出たという。

①細川首相の発言について、あなたはどう思いますか?

そうだと思う       50%

大体そうだと思う      9%

あまりそうだとは思わない  8%

そうだとは思わない     8%

わからない        21%

無回答           1%

 

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香港に入城する日本軍(Public Domain)

 

さらに、このアンケートは、「細川首相は国会の所信表明演説で過去の侵略行為や植民地支配に深い反省とお詫びの気持ちを表しました。あなたは侵略行為や植民地支配の犠牲者に今後、何らかの金銭的な償いが必要だと思いますか」という問いも発している。その結果は以下。

 必要だ       34%

 ある程度は必要だ  21%

 あまり必要ではない  9%

 必要ではない    20%

 わからない     15%

 無回答        1%

慰安婦や徴用工の問題で日韓関係が悪化し、それに伴って国内で嫌韓キャンペーンが行われている現在、あるいは現政権が中心となって歴史修正主義が拡散されている現在、同じアンケートが行われたら、多分この数字は逆転するのではないだろうか。

ちなみに、このアンケートは九州7県と山口県の成人男女1000名を対象に実施されたもの(回収率100%)。

 

 

映画『共犯者たち』を観た

韓国のテレビ局と権力の攻防を描いたドキュメンタリー映画『共犯者たち』を観た。

イ・ミョンバク政権とパク・クネ政権がKBSやMBCに介入し、情報を隠蔽したり、それを批判的に報道するプロデューサーを上層部に圧力をかけて解雇するなど、露骨なメディアコントロールが次々に映し出される。

監督は、2012年にMBCを解雇されたプロデューサー。

 

 

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韓国のテレビ制作スタッフたちの勇気と行動力に敬意と賞賛の念が湧いてくる。ひるがえって日本のメディアを見渡すと、もし同様の事態に陥ったらテレビ制作者や新聞記者はこうした行動に出るだろうかという疑問が湧いてくる。

韓国ほど露骨ではないものの、与党の有力議員がNHKに押し掛けて番組内容を変更させたり、総務大臣が電波停止をちらつかせたり、報道番組のキャスターやコメンテーターを降板させるよう圧力をかけたり…、といったメディアへの介入は日本にもある。

そして、少なくともテレビは、ウオッチドッグという意味でのジャーナリズムは風前の灯だ。新聞はもう長い間購読していないので評価できないが、東京新聞や望月記者が目立つということは、それだけジャーナリズムが地盤沈下しているということだろう。

その役割は週刊誌やネットメディアに移行しつつあるように見える。

ビールかけは究極の食品ロス

プロ野球でリーグ優勝したり日本一になると、祝勝会で盛大にビールかけが行われ、それをテレビが大々的に放送する。

それを見ていると、私は暗澹たる気持ちになる。まず頭に浮かぶのは、「ビール工場でビールを造っている人たちはどう感じているだろう?」という思い。例えば、あなたが一生懸命作った商品が、本来の目的に使われることなく、大量に無残に捨てられたら、あなたは怒るだろう。対価が支払われたとしても、作り手としては憤懣が残るはずだ。

もう一つ湧き上がるのは、当然ながら「もったいない」という思い。調べると、3000~5000本のビールが用意されるらしい。

やっている側にはそういう思いは全くないようで、選手も報道する記者もわざわざゴーグルをかけて乱痴気騒ぎに参加している。そのバカバカしさ…。

 

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賞味期限が近いビールや正規には販売できないビールが使われるという情報もあるが、それなら、その他の食品と同じように、別の流通ルートに流して、飲料として消費されるようにすればいい。食品ロス防止に取り組む団体もあるし、最近はそういう商品ばかりを格安で販売する店もある。

優勝を祝いたいのなら、普通に鏡開きで乾杯すればいいではないか。わざわざホテルの宴会場を防水処理して、飲料であるビールをまき散らして、ゴーグルをつけてバカ騒ぎする必要がどこにある?

オリンピックは毎年アテネで開催すべし

日本はすっかりオリンピックモードに包まれているが、私はまったく関心がない。というよりも、今の形のオリンピックは廃止すべきだと思っている。その理由の一つは無駄な箱物。

1976年のオリンピックで約1兆円の赤字を抱えたモントリオール市が、市民の税金で借金を返済するのに30年かかったことはよく知られている。また、北京では各種の競技場が廃墟と化しているようだし、リオデジャネイロでも同様の廃墟があるようだ。

日本でも長野オリンピックで建設したリュージュ競技場が廃墟となり、オリンピックスタジアム、エムウェーブなどのメンテナンス費用が10年間で45億円かかるという。

わずか数カ月のために何百億円、何千億円もかけ、終われば廃墟になるか、負の遺産として自治体の予算を圧迫する。これほど無駄なものはない。

 

 

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オリンポスの古代競技場(Public Domain)

 

オリンピックはアテネで始まったのだから、毎回アテネで開催すればいい。世界各国が資金を出し合って競技場を建設し、4年ごとに使えば、世界中に無駄な箱物をつくる必要がなくなる。

4年に1度だけではもったいないので、世界陸上とか世界選手権もアテネでやればいい。改修費用やメンテナンスも世界各国が、参加選手数とか取得したメダル数に応じて費用を分担すればいい。

オリンピック招致のために、各国がしのぎを削ったり、賄賂が横行することもなくなる。

 

 

富裕層が提案する富裕税

アメリカの富裕層18人が、金持ちにもっと税金を課すべきだという書簡を公開したらしい。署名したのは、投資家のジョージ・ソロス、ディズニー家の子孫、フェイスブック共同創業者、ハイアットホテル創業一家の相続者など。

その文面の一部は、「富裕層にもっと多くの税金を課す『道徳的・倫理的・経済的』責任をアメリカは負っている。富裕税による税収は、気候変動との戦いや、経済成長や、よりよい医療、そして機会と強さと民主的自由を強化するために使える。富裕税の創設は、私たちの社会の利益にかなう」。

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FRBの調査によると、アメリカの下層半分が保有する資産は過去30年間で約9000億ドル減少した一方、トップ1%の富裕層では21兆ドル増えているそうだ。

民主党の大統領候補エリザベス・ウォーレンは、5000万ドル以上の資産を保有する個人や世帯に富裕税を課すことで、こうした格差を是正すると主張しているらしい。

原爆投下、ベトナム戦争イラク戦争など国際的暴力を振るい、あれだけ乱射事件があるにもかかわらず未だに銃規制ができないとんでもない国だが、こういう良心が今でも残っている。

日本でも、孫正義とか柳井正あたりが富裕税を言い出すと面白いが、無理だろうな~。

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